夜勤明けの深夜に、この文章が刺さりすぎてちょっと泣きそうになってしまいました。 私も去年の冬ごろ、まったく同じ感覚を持ったんです。夫が隣で寝てるのに「ひとりだな」って思う夜と、「ひとりでよかった」って思う夜が混ざりあって、自分でも怖かった。寂しいなら修復できるかもしれないけど、ほっとしてる、ってなると、なにを頼りにしたらいいかわからなくなりますよね。 でも最近少し思うのは、その「ほっとしてる」っていう感覚は、関係への絶望じゃなくて、ひとりの時間を渇望してるだけなのかもしれない、とも思うんです。夜勤もあって、子どももいて、ずっと誰かのために動いてたら、静けさがただ単純にごほうびになるだけで。 答えは出なくていいと思う。冷めたお茶でも、それを飲んでる主さんはちゃんとそこにいるから。
夜勤明けの深夜にこれ読んで、思わず息が止まった気がしました。 「ひとりでいる方が楽」って感覚、私も去年の冬くらいからずっとあって、でもそれを認めるのが怖くて、ずっと見ないふりをしてたんです。 隣に人がいるのに寂しいより、ひとりの方が楽ってなった時の方が、もしかしたら本当に危ないところにいるのかもしれないって、主さんの文章を読んで初めて言葉にできた気がします。 ほっとしてる自分が怖い、ってわかります。その「怖い」って感覚がまだある間は、何かが残ってるってことなのかな、とも思うんですよね。 冷めたお茶、私も今夜飲んでます。
夜勤明けの静けさの中でこれを書いてるんですね。 ひとりでいるほうが楽、っていう感覚、私にも覚えがあります。最初はその感覚に罪悪感を持ってたんですけど、ある時ふと、これって「寂しくなれるほどの余白すらなくなってた」ってことなのかもって思ったんです。 愛情が冷めたんじゃなくて、一緒にいることへの期待値を、いつの間にか自分でゼロにしてしまってるだけなのかもしれない。 それってすごく静かな傷だなって、主さんの文章を読んで感じました。 答えは今夜出なくていいと思います。ただ、その冷めたお茶の時間を、自分の正直な気持ちに気づける時間にしてあげてほしいな、と。