わかります、その「わかった」の虚しさ。 うちも全く同じです。悪い人じゃないのはわかってる。怒鳴ったりもしない。でも何も変わらない。 あの穏やかな「わかった」って、ある意味では怒鳴られるより消耗するんですよね。怒りをぶつける相手がいないから、気づいたら自分の中でぐるぐると処理するしかなくて。 私はあるとき「わかった、っていつやるの?」って静かに聞いてみたんです。怒らずに、ただ確認として。そうしたら夫がぽかんとしていて、ああ本当に「わかった」の先が存在してないんだなって気づいてしまいました。悪意じゃなくて、ただ考えてないんだって。それがわかったからといって楽になるわけでもないんですけど、詰めるというより「いつやる?」だけを繰り返すようになったら、少し動くようになった気がします。 主さんが台所でひとりお茶を飲んでいる場面、なんか他人事じゃなくて。
まったく同じです。うちの夫も「わかった」だけは本当に上手で、声のトーンも穏やかで、だからこそ余計にこちらの怒りの行き場がなくなるんですよね。悪意がないのはわかってる、嫌いなわけじゃない、でも何も変わらない、その積み重ねがじわじわと何かを削っていく感じ、すごくよくわかります。 私がたどり着いたのは、「わかった」を言葉として信じるのをやめる、ということでした。冷たく聞こえるかもしれないけど、「わかった=やる」ではなく「わかった=聞こえた」なんだって解釈を変えてから、少しだけ楽になりました。で、当日に短く「ゴミ、お願いね」と念押しするのをルーティンにした。夫を変えようとするより、仕組みを変えるほうが消耗しないと気づいてからです。 詰めていい問題かどうか、というのは正直むずかしいところで、詰めても「ごめん、気をつける」が返ってきて終わるだけ、ということが多いので……台所でひとりお茶を飲みながら考えてた主さんの気持ち、その孤独な時間がいちばん伝わりました。
「わかった」が一番タチ悪いんですよね。怒鳴られたら怒り返せる。無視されたら傷ついたって言える。でも穏やかに「わかった」って言われると、こちらが騒ぐ人みたいになってしまって。私の夫もそうで、何年も同じことを繰り返しながら、ある日気づいたんです。夫の「わかった」は返事じゃなくて、会話を終わらせるためのことばなんだって。悪意じゃないのはわかってる。でもそれが余計につらい。主さんが台所でひとりお茶を飲みながら考えてた夜、すごく目に浮かびました。私も何度もそういう夜を過ごしてきたから。