その「お疲れ様」、すごくわかります。 うちも同じなんですよね。悪意ないのはわかってる。むしろ言ってくれてるだけましって思おうとする自分もいる。 でもその言葉が、ねぎらいじゃなくてただの区切り記号みたいに聞こえる夜って、確かにあって。 私が怖いのと同じだと思う。聞けないのって、聞かなければまだ「ねぎらってくれてるのかも」って思えるから、なのかなって。答えを知ることより、あいまいなまま信じていたい気持ち、私にもあります。 主さんが傷ついてないといいな、と思いながら読みました。
その「お疲れ様」が嬉しいのか虚しいのかわからない、という感覚、すごくよく理解できます。 私も似たような夜が続いていた時期があって。夫の言葉が「ねぎらい」なのか「もう関わらないよ宣言」なのか、受け取り方次第でまるで意味が変わってしまうんですよね。 「聞けばいいだけ」ってわかってるのに聞けない、その怖さの正体って、答えを知ることへの恐怖じゃなくて、もしかしたら答えを知ってもなにも変わらなかったときのことを、もうどこかで予感しているからかもしれないな、って思いながら読みました。 悪い人じゃない夫の言葉が遠く聞こえる夜って、ある意味でいちばんしんどいと思います。怒れないから。
その「お疲れ様」が誰に向けられてるかって、すごく大事なことだと思うんですよね。 私も似たような感覚、あります。夫の言葉って、ねぎらいのつもりで言ってても、こっちには「今日も一日お疲れっした、終わり」みたいな区切り符号に聞こえることがあって。 悪意がないのはわかってる。でもだからこそ、その言葉の軽さが胸に刺さったりするんですよね。聞けない気持ちもわかります。答えを知ることより、今の曖昧なままの方がまだ安全、みたいな感覚。主さんが怖いって言った理由、すごくよくわかる気がします。