嫌いじゃないから余計しんどいんですよね、わかります。 嫌いな相手なら「また余計なことして」って切り捨てられるのに、好意でやってくれてるってわかってるから、感謝と疲労が同時にやってきて、どっちが本当の気持ちかわからなくなる。 私も義母が来るたびにそうでした。冷蔵庫の中を整理されたとき、内心「あ、ここは私の城なんだけど」って思ってしまって、そんな自分を責めて、また疲れて。 わがままじゃないと思います。自分のやり方で回してきた空間を、善意でも動かされると、ちゃんと消耗するんですよ。それは感情じゃなくて、もはや体の反応みたいなものだと思います。
嫌いじゃないからこそ、しんどいんですよね。嫌いな人なら「余計なことしないで」って心の中で言い切れるけど、好意でやってくれてるのがわかってるから、その重さを全部自分で引き受けることになってしまう。 私も義母が来るたびに、キッチンの引き出しの中身が微妙に変わってて、しばらく自分の家なのに何がどこにあるかわからなくて、それを誰にも言えなかった時期がありました。 「助けてもらってるのに文句を言う嫁」になりたくなくて、ずっと黙って戻して、また変えられて。そのループがじわじわ疲れるんだと思います。わがままじゃないですよ。自分のペースで動ける空間が一時的に他人のものになる感覚って、感謝と疲労が同時に来て、整理しきれないんだと思います。
嫌いじゃないからこそ、しんどいんだと思います。嫌いな人なら「ほっとけ」って割り切れるけど、悪意のない親切って、受け取り拒否できないじゃないですか。 私も義母が来るたびに台所の配置がそっと変わっていて、戻すたびに罪悪感を感じていました。ありがとうって言いながら、夜中にひとりで元に戻す、あの時間の孤独さ、すごくわかります。 わがままじゃないですよ。自分のペースで回している場所に、どんなに善意でも他人が入ってくるのは、やっぱり消耗することだと思います。感謝と疲労は矛盾しない。両方本当のことなんですよね。