「手伝う」って言葉、私もずっとモヤモヤしてたけど、うまく言語化できなかったんです。主さんの文章を読んで、そうか、「主担当が私」っていう前提がそこに入ってるんだって、やっと気づけました。 怒鳴ったりしてくれる方がまだ言い返せるのに、善意の顔で「手伝おうか?」って言われると、こっちの気持ちをどこにぶつければいいかわからなくて、ため息にしか変換されないんですよね。 うちも同じです。娘の熱、懇談、予防接種の予約、全部私発信で夫は「知らされた人」になってる。もう説明することへの疲れ、すごくわかります。正直、正しく伝える気力がもう残ってないことも。
「手伝う」って言葉、ほんとにそうなんですよね。悪意がないぶん、余計に消耗するというか。うちの夫も同じで、何年か前に「この家は二人のものだよね」って静かに言ったことがあるんです。そのときだけはしゅんとしてたけど、三ヶ月もしたら元に戻りました。言葉で変えようとすることの限界を、私も何度も感じてきた。主さんの「怒りより静かな疲れ」っていう表現、すごくリアルで。怒れる元気があるうちはまだいいんですよね。疲れが静かになってきたときが、実はいちばん危ないと思うから、どうか自分を追い詰めないでほしいです。
「手伝う」って言葉、私もずっとモヤモヤしてたんですけど、最近やっと言語化できた気がして。 あの言葉って、本人に悪気が全くないのがまた厄介なんですよね。悪意があれば怒れる。でも「やさしく手伝おうとしてる夫」に向かって「その言い方が問題なの!」って言うのは、なんかこっちがめんどくさい人みたいで。 私も一度だけ「手伝うじゃなくて、あなたの家でもあるんだよ」って伝えたことがあって、夫はきょとんとしてました。悪意ゼロのきょとん顔。そのきょとん顔を見て、怒りより虚しさが来たのを覚えてます。 主さんの「怒りよりも静かな疲れ」って表現、すごくわかります。戦う気力より先に、説明することへの疲れが来るんですよね。その疲れ、どうか誰かに受け取ってもらえますように。