「責める気力もない」って、それが一番つらい段階だと思います。怒れるうちはまだ相手への期待が残ってるけど、じわじわさみしいっていう感覚は、もっと深いところへ来てしまった感じがして。 うちも似たような時期がありました。夫にとって私のやることは「あって当たり前の空気」になっていたんだと思います。空気に感謝する人はいないから。 冷めたお茶、なんかすごく絵として浮かんできます。その台所に一人でいる時間が、主さんにとって少しでも「吐き出せた夜」になってたらいいなと思いました。
「責める気力もないし、怒ってるわけでもない」って、そのじわじわとしたさみしさ、すごくわかります。怒れるうちはまだエネルギーがある証拠で、こういう静かな虚しさのほうが実はずっとつらいんですよね。私も去年、夫に最後に感謝されたのいつだっけって考えて、思い出せなくて、それだけで泣けてきたことがありました。冷めたお茶、なんかその光景が目に浮かびます。主さん、今日も本当によく頑張りましたよ。
台所で冷めたお茶、読んでてなんか胸が痛くなりました。 「ありがとう」って言葉ひとつ、たった2秒のことなんですよね。それがないだけで、こんなにじわじわ削れていく。怒れるならまだ楽なのかもしれない。怒る気力も出ないくらい、もう慣れてしまってる自分に気づいたとき、いちばんさみしくなりますよね。 うちも似たようなものです。娘が「ママごはんおいしい!」って言ってくれる日は救われるんですけど、夫からはもう何年も期待していないかも。期待しなくなったことを、諦めとは言いたくないんですけど、何なんでしょうね、これは。 主さんが責める気力もないって書いてくれたの、すごくわかります。怒りより先に疲れが来る年頃になってしまいました。今夜はゆっくり休んでくださいね。