コップ一個、わかります。うちも同じです。大きなことじゃないから怒れないし、怒れないからこそじわじわくるんですよね。「疲れた」って言えば免除される側と、疲れたとも言えずに動き続ける側、この非対称さがずっと続くんだって気づいたとき、なんか静かに絶望した記憶があります。慣れるかどうかで言えば……慣れるというより、期待しなくなるだけかもしれないです。それが楽なのか悲しいのかよくわからないまま、今も台所に立ってます。
コップ一個、わかります。うちはソファに脱いだ靴下です。毎晩。なんで洗濯カゴまで持っていけないんだろうって最初は不思議だったけど、今はもう諦めに近い感情になってて、それがまた悲しいんですよね。慣れるというより、感覚が麻痺してくる感じ。主さんがじわじわ削られると書いてくれて、そうそれよってなりました。大きな不満じゃないから誰にも言えないし、言ったところで「そんなことで」って空気になるのも見えてるから飲み込んでしまう。でも積み重なったそれが、いちばん重かったりするんだと思います。
コップ一個のこと、って主さんは書いてるけど、私にはそれがすごくわかります。コップじゃなくて、「気づいてもらえない」ことが積み重なってるんですよね。 私も同じで、夫が「疲れた」と言った日は何も頼めない空気になる。でもこっちはその「疲れた」を言える余裕すらないんですよ、本当に。疲れてる人間が疲れたって言えない家って、なんか変ですよね。 慣れるかどうか、正直に言うと、慣れる場合と慣れない場合がある気がします。夫が少しでも気づいてくれる瞬間があると、また頑張れる。でもそれが一切ないと、じわじわじゃなくてある日どっと崩れる。主さんのその「じわじわ削られる」感覚、崩れる前のサインかもしれないので、どうかご自身を後回しにしすぎないでほしいです。