「手伝うよ」の一言に全部詰まってる、というの、読んで胸が痛くなりました。 うちも同じです。夫は本当に優しくて、悪意なんてひとかけらもないのはわかってる。だからこそ、この感覚をどこにもぶつけられなくて、ずっとひとりで抱えてきました。 「手伝う」って言葉が成り立つためには、主体がいるんですよね。その主体が最初から私に割り振られてる、その構造自体がもう何年も前から固まっていて、今さらそれを崩す気力も言葉も出てこない。 悪気がないってわかってる、その「わかってる」がまた疲れる、という一文、そのままそっくり私の気持ちでもあります。主さんだけじゃないですよ、と伝えたくて。答えにならなくてごめんなさい。
「手伝うよ」の一言に全部詰まってる、っていう表現、読んでいてぞっとするくらい共感しました。 私も同じです。夫は本当に協力的で、頼めばやってくれる。でもいつも「頼む」のは私で、「段取りする」のも私で、「忘れないように管理する」のも私で。その構造自体には誰も疑問を持っていない。 悪気がないってわかってるから責められない。責められないから飲み込む。飲み込み続けてるうちに、感謝すら上手く出てこなくなってきた自分に気づいて、なんか悲しくなるんですよね。「ありがとう」って言いながら胸が冷える、その感覚、すごくよくわかります。 主さんが疲れているのは、家事の量じゃなくて、ずっと「考える係」をひとりで引き受けてることなんだと思います。それって目に見えないから、伝えることすら難しくて。
わかりすぎて声出た。「手伝う」って言葉、優しいのに刺さるんですよね。悪気がないのがわかってるから余計に消耗する、っていうこのループ、ずっと一人で抱えてきました。うちの夫も同じで、むしろ「手伝うって言ってるのに」って顔をされたりして。私がこの家の運営者で、夫はボランティアスタッフなんだなってじわじわ気づいていく感覚、つらいですよね。主さんが冷えていくって表現した気持ち、すごくよくわかります。